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定金:では最後のプログラム問題の議論に入る。午前中の寿岳講
演のサマリがつみ残しになっているという事なので最初にお
願いしたい。
寿岳:谷口さんから要求があったのでサマリを述べる。「188cm
望遠鏡のプログラムに関して色々と問題があることは認め
る。しかしながらレフェリー制の導入には強く反対する。」
家さんから先程競争社会か福祉社会かというシビアな形の質
問があった。福祉という言葉は好きではないが、この話を聞
くと最近の「民営化」の議論と同じ様な危険を感じる。この
問題については私は左翼の立場にたって反対する。その理由
を述べる。プログラムのテーマが毎年本質的に変わっていな
いことは先程述べた。これは皆さんでチェックしてほしい。
このことを考えると、レフェリーの立場にたってプログラム
に優劣はつけ難いというのが私の基本的認識である。従って
それを小数の何も知らないレフェリーが恣意的あるいは人気
投票的なことで判断されては新しい差別を生じる。これは社
会正義にもとる問題である。
岡村:これからの議論の仕方について提案したい。私はこの問題
を象徴的な言い方ではあるが、「シビルミニマム」対「レフ
ェリー制」の対決ととらえて、そこから議論を始めるのは妥
当ではないと考えている。理由の第一は、「シビルミニマム」
ということが現実に存在するかという疑問、またこれを言わ
なければ観測時間が貰えない人はいないはずということであ
る。(反対!レフェリー制を導入すれば今観測できている人
ができなくなるということでそれは定義そのものである)私
はその時シビルミニマムと言うことが論点になって観測時間
が貰えたり貰えなかったりするのではないといっている(シ
ビルミニマムを唱えなかったら貰えなくなるのである。話を
理解していない。)というのはみんな研究テーマを立てて申
し込みをし、それぞれに成果を挙げているからである。第二
の理由は、「レフェリー制」ということについて人々のイメ
ージが多様性に富んでいて、「レフェリー制」ということだ
けでは共通の土俵に上がれないからである。これは最終的に
は、良い天文学とは何かということについてレフェリーでは
判断ができないということにつながることである。従って最
初に述べた対決を議論の出発点とするのは妥当ではないと考
える。しかしそうは言っても岡山の観測プログラムに色々な
問題があるという現実が歴然として存在する。第一点は岡山
188cmのプログラムが超過密であるということ。(超過密で
はないということを私は述べた;色々な数値が出されたが、
現実に2〜3日程度という割当になっており、機器交換が非常
に大変であるという現場の感覚の方が統計的な数値より正し
いと思う;現実とは感覚ではなくて数字である。)第二は、
機器開発の時間とマンパワーがとれないということ。第三は
特に地方のいわゆる孤立研究者にとってデータ処理が非常に
困難になっていること。そうしてそれらの結果として若い世
代が光の観測に展望を見いだせなくなっているという状況に
なっている。この状況は今生まれたものではなく、こうした
議論はすでに長い間行われてきた。最初にこのことが議論さ
れ出した頃から考えると、随分と新しい情勢が生まれてきて
いる。それは主に二点に要約されよう。第一は、国立大学共
同利用機関が誕生することになったこと。このことは、コミ
ュニティとして使えるお金が多少は増える、JNLTプロジェ
クトが走り出す、既存望遠鏡のプログラムは何らかの委員会
によるレビューを受けるという意味を持つ。第二は我々が利
用できる望遠鏡の数がかなり増大したと言うことである。特
に海外望遠鏡の使用実績が年間400人日といった水準にまで
なり、海外学術調査によって天文コミュニティに投入された
お金は正確な数字は知らないがここ2〜3年は年間1千万円
を超えているのではないかと思う。このことは、岡山188cm
が唯一の望遠鏡といった時代とはかなり違った情況を生み出
している。一方国内の望遠鏡も少しづつ整備されそうなきざ
しが見えてきた。昨日講演のあった電波研や宇宙研の赤外線
望遠鏡、木曽のシュミットにCCDカメラを作る話なども出て
いる。「岡山の観測プログラムに問題はある、そして色々と
新しい情況も生まれて来た。ではその中で一体我々はどうし
ようとしているのか」という点がまず議論の出発点になるべ
きだと私は考える。これは決断の問題である。決断した結果
とるべき道は大きく三つに分かれると思う。第一は、特に何
も意見は出さない、つまり成行きに任すという道。第二は、
積極的に現状のままを保つということを表明する道。第一の
道を選ぶと、前述の委員会の委員に選ばれた方々が責任上何
らかの決断を下されることになって、コミュニティの意見は
生きないことになろう。仮に第二の道をとったとすると、現
状のままを保つということが果して共同利用の委員会ですん
なり通るであろうかという心配がある。数字が正しいのか感
覚が正しいのか微妙だが(数字が正しい)このままではどう
にもならないのではなかろうか(n o n!)。私はこの二つの
道を選ぶと光天連の自治能力を問われるという事態になるの
ではないかと恐れている。そこで第三の道は、何とか改善の
ための手を打とうということで、まずこの点で皆さんの合意
がなけれは、シビルミニマムやレフェリー制についての議論
をしても仕方がないと考えている。だからまず、この情況を
何とかするのだという点で合意が得られるかどうかというこ
とから議論を始めていただきたいというのが提案である。
小平:私としては午前中の市川さん、寿岳さんの講演を聞いて、
まだどうして若い人達がフラストレートし、我々自身も観測
時間が少なくなったという気分になっているのかその情況の
把握と分析が十分でないような気がする。市川さんの出した
データもそう大きく間違っていないような気もするし、寿岳
さんのデータもきちんとした根拠に基づいたもので、岡山に
行っている総時間は各観測者について増えているということ
も事実のように思える。それにもかかわらず我々がせっぱつ
まったような気持ちになっているのはどういう訳かというこ
とを私なりに考えてみた。我々のやっている観測天文学の構
造的変化が積もり積もってそういう事になっているのではな
いか。その一つは、アップ・デートな観測をしようとすると、
装置が高度化しているということである。74インチ開設当時
は、ともかくお仕着せの装置で、写真を使っていたため、乾
板が上手に切れて、現像が自分ででき、あとはそれをマイク
ロデンシトメータにかけられれば一流の仕事ができるという
時代であった。ところが現在はCCDはじめフォトン・カウン
ターにしてもかなり装置が高度化している。もう一つは、寿
岳さんの指摘のように74インチ開設当時にあった観測テーマ
資 料
スクリーニング制(レフェリー制)導入についての議論
光学天文連絡会シンポジウム(1988年1月26,27日開催 於東京大学総合図書館会議室)
集録より抜粋