151 1.はじめに 1960年に開所した岡山は40周年を迎えるが、丁度 同じ年に大学院に進み観測的天文学を志した私たち にとって、岡山はまさに全研究生活40年間にわたり 様々の関わりを持った重要な存在であった。ここで は晩期型星の分光観測をもれなくレビューすること などはもとより不可能であり、私が関わったクーデ での光学観測を中心に思い出すことを簡単に記すに とどめる。 2.写真乾板の時代(1960・70年代) 岡山の観測プログラムでは、藤田先生が主導され た低温度星の分光観測が、当初からかなり大きな比 重を占めていた。これは、当時まだ比較的未開拓で あった写真赤外領域をコダック写真乾板によって M, S, C型星などを撮影することが主であった。こ れら写真乾板ではS/N比はせいぜい10程度であった と思われ、今日からみればかなり粗雑なデータであ ったことは否定できない。しかし、これらのデータ からも幾つかの興味ある結果が得られている。藤田 先生は多数の炭素星を精力的に観測され、写真赤外 領域で始めて可能となったCN分子のRed Systemに おける同位体効果や禁制線を含めた原子スペクトル の研究を進められた。炭素星の研究は、内海、平井 氏などが加わり岡山における中心的テーマの一つと して発展した。またM型巨星(山下)、バリウム星 (西村)、S型星(辻)、長周期変光星及び共生星 (前原・山下)など殆んど全ての低温度星のスペク トルの研究が岡山での観測にもとずいて精力的に進 められた。このような写真乾板による観測は1980年 代まで行なわれ、かなりの乾板が蓄積されている。 おそらく、岡山で観測された低温度星のスペクトル 乾板は、かってのウイルソン山天文台でのこの分野 の先駆となる膨大な観測に次ぐもので、これだけま とまった低温度星のスペクトル乾板は岡山以外には 存在しないであろう。これらのデータが今後必要な 場合には利用できるようアルカイブされることを望 みたい。また、写真乾板の利用には測定器が不可欠 で、三鷹ではようやく1981年にPDSマイクロ・デン シトメーターが導入され、初期には野口(猛)、宮 内氏、その後最近までは佐藤(英)氏のお世話にな 研  究 星の分光観測:晩期型星 東京大学 名誉教授
152 って、多くの測定に使用された。今後もアルカイブ された乾板と共に、このような測定器も必要であろ う。 3.過渡期(1980年代) しかし、岡山188センチ鏡は創設当初は世界的に みても10指に入る大望遠鏡であったが、1970年代か ら諸外国で続々と4m級の望遠鏡が建設され、我が 国の光学観測はかなり困難な状況に追い込まれた。 また新しい検出器が次々と天体観測に応用されるよ うになり、岡山でも、清水氏らによるイメージ撮像 管(I.I.)や西村氏らによるIDARSSなどがクーデ 焦点で試みられ、低温度星にも応用されたがいろい ろ問題も多く、この時期は本命となる検出器を暗中 模索した過渡期である。一方、この頃には岡山以外 の共同利用観測施設として、木曾シュミット観測所 についで野辺山宇宙電波観測所が活動を開始し、光 領域のみでなくミリ波領域でも低温度星の分光観測 が可能となった。海野先生、海部氏などと一緒に低 温度星の電波分光観測を試みることができ、様々の 低温度星に45m鏡を向けると光では観測できない暗 い星からもCO, SiO, HCN などの分子線が次々と受 かり、光領域の分光観測とは全く違った貴重な経験 をすることができた。このプロジェクトに大学院生 として参加していた泉浦氏は、45m鏡で炭素星の観 測を精力的に行なってきたが、電波観測だけに飽き たらず光領域での観測を目指して岡山で後述するエ シェル分光器の開発に中心的役割を果たすことにな る。多波長領域の連携が、人の交流を含めて国内で 可能となったことも注目すべきことである。 4.CCDの時代(1990年代) 岡山では上記の試行錯誤の後、家氏を中心に CCDが導入され、クーデ焦点でも実用化された。 ようやくかなり暗い星が良いS/N比で観測できるよ うになったことは画期的であつた。しかし、写真乾 板を念頭において最適化された188センチ鏡クーデ 分光器とCCDは必ずしも相性が良いとはいえず、 特に写真乾板では分解能50,000程度が得られていた が、CCDでは特にピクセルサイズの小さなものを 用いても分解能20,000程度に劣化してしまう。この ことは、特にスペクトル線が密集している低温度星 スペクトルの研究には致命的であった。分解能 20,000(速度分解能15km/sec)では高分解能とは 言えず、クーデ分光器の役割を果していないが、や むをえずこれで比較的簡単な炭素同位体比を決定す る試みを始め、5,6年かかって100個以上の様々な炭 素星を観測した。これらのデータは大仲氏が修士論 文としてまとめ、またハロー炭素星は青木氏がまと めたが、この分解能でも解析の方法によって十分有 用な結果が得られることを示した。また、岡山では 写真乾板やI.I.の時代からM型矮星の分光観測も 試みてきたが、CCDの導入によりようやく数十個 のM型矮星のスペクトルを観測することができた。 しかし、同位体比ではなく化学組成そのものの定量 解析にはやはり分解能が不足し、これはやや無理な プロジェクトであったようである。岡山での晩期型 星の観測は、今までM, S, C型などの低温度星にほ ぼ限られてきたが、もう少し柔軟に観測対象をひろ げ観測装置の性能に適したプロジェクトを考えたほ うが効率的であった可能性も否定できない。 5.21世紀にむけて(2000年代) 創設当初以来のクーデ分光器が非常に不十分であ り、その刷新が急務であることが指摘されていたが、 ようやくその実現を強力に推進された前原所長のも とで、泉浦氏以下岡山スタッフにより新しいエシェ ル分光器HIDESが完成したことは岡山の分光観測 にとって画期的である。すでにこのエシェル分光器 の優れた性能は、泉浦氏らによる炭素星外層に起因 するC2分子線の発見という興味ある初期成果によ り示されている。岡山ではすでにその創設期に大澤 所長・清水氏によりエシェル分光器が開発され、 5×16 センチの大きさの写真乾板一杯に高分散エ シェルスペクトルを撮ることが可能であったが、写 真乾板しか利用できない時代ではその性能を十分生 かすことが出来なかったのは残念である。しかし、 エシェル分光器の原理が見出されたのは比較的新し く、コンパクトな設計が可能なことからスぺース観 測には早くから利用された例があるようであるが、 これをいち早く1960年代に地上での高分解能分光器 として実用化したのはおそらく岡山が世界最初であ り、世界的にエシェル分光器が地上望遠鏡に装備さ れるようになるのはこれよりかなり後のことであ 第5章
153 る。この誇るべき岡山の伝統がようやく今回の新し いエシェル分光器の完成によって継承・発展させら れたことはたいへん喜ばしいことである。さらに、 ''すばる''の高分解能分光器HDSとの有機的な役割分 担により、わが国における高分散分光の今後の発展 に大いに活躍することを期待したい。 6.おわりに 岡山はわが国で建設された本格的な天体物理観測 ができた最初の共同利用観測施設である。共同利用 としての制約はあるにしろ、これにより常時観測が 可能であったことの意義は極めて大きい。様々の事 情により必ずしも意図した観測から直接的成果が得 られない場合でも、岡山で着想された初期的試みが 様々な形で発展し、例えば海外望遠鏡を含めて他の 観測装置で行なわれる研究に発展した例は多い。そ して今や岡山で限界に達した観測は、“すばる”に よる観測で大きく発展させることが可能である。ま た、岡山での観測結果の解析の必要から発展した研 究もあり、特に低温度星は高温の星にくらべるとそ のスペクトルの解析の基礎は確立されておらず、観 測の傍らこれらの問題を解決する必要があった。そ のため、M型矮星からAGB星までを含めて低温度 星大気の基礎的研究にかなりの時間を要し、観測デ ータの解析まで十分手がまわらず今後に残された問 題も多い。実際、コンピューターの進歩は早く観測 よりも大気構造の研究が先行してしまった面もある が、天体を解明する最終兵器はコンピューターでは なく望遠鏡であることは言うまでもない。岡山での 観測は低温度星の研究に観測データを提供したのみ ならず、星からの生の情報に接することを可能にし 低温度星の研究に常に有用な示唆を与えてきたと言 うことができる。さらに、岡山での観測は教育上も 重要な役割を果たした。岡山の観測により修士・博 士を得た人は多く、大学院教育に大きな役割を果た した(かく言う私は多分岡山のデータによる修士第 1号である)。また例えば、岡山の観測結果は東京大 学理学部において何人かの卒業研究の格好のテーマ としても役立った。また、田辺氏とともに担当した 実習では、太陽スペクトル並の低温度星の高分散ス ペクトルを使用し大変有効であったが、これは岡山 で岡田氏と協力してCCDカメラを装備した太陽ク ーデ分光器で観測したものである。岡山が天文教育 に果たす役割は今後益々重要となることは間違いな い。 以上の断片的な思い出からも、岡山の存在は低温 度星はもとより、わが国の天文学の研究・教育の発 展に大きく貢献したことは明らかである。それは、 目にみえる研究成果もかなりあるとしても、岡山の 果たした役割はそれを遥かに越えて、わが国の天文 学が40年前の状態から現在に飛躍する原動力の重要 な一環をなす有形・無形の貢献を意味する。このよ うな岡山観測所を40年以上前に構想し、また、40年 前にその建設を推進し、立ち上げに尽力された先達 の方々、および40年間にわたり岡山の運営と発展に 貢献された岡山スタッフの方々に深く感謝し、今後、 21世紀にむけて岡山の一層の発展を期待する。 研  究