130 動物編 岡山天体物理観測所は海抜370mの竹林寺山の頂 上にあり、付近一帯は殆ど赤松の林である。周辺に は、これといった高い山もなく、山陽沿岸地方特有 の200〜300mの低丘陵が続く。天気の良い日には、 南は瀬戸内海の島々、四国山脈の山並、北は鳥取県 の伯耆大山等が遠望できる。月夜には、海面が白く 光り、瀬戸の島々、行き来する船がシルエットとな り、昼間とは又違った風情をみせる。夜景というと、 一般的には人工灯の美しさであろうが、天文台から の夜景も、最近非常に美しくなった。光学天文観測 にとっては困ったもので、「いい眺めだ!」と、素 直によろこんでいられない。 早春ウグイスは、まだケキョケキョとまことにぎ こちない声で鳴いているが(冬の間はチャッ、チャ ッと地鳴きしかしない)つつじの花が咲くころにな ると、ようやく練習の成果が上がったか、わが世の 春とばかり滑らかな美しい声を聞かせてくれる。ド ームから研究室のほうへ歩いていると、驚くほどす ぐ近くの雑木林の中で、よく通る声で鳴くが、案外 姿を見せない。ホウジロも又このころになると、松 の一番高い新芽の先に止まって、口を大きく上に向 け一日中さえずっている。聞きなし(鳴き声のたと え)も色々あるが、有名なのは「一筆啓上つかまつ り候」というのがある。岡山地方では「源氏ツツジ、 白ツツジ」とも云う。 ゴールデンウィーク頃になると、春蝉(学名)の 声でよく起こされる。ツクツクホウシに似た透明な 羽を持った蝉で、ただ「ガーガー」となくだけで、 とても優雅な声とはいえない。この春蝉は、曇って いるときは何故か鳴かない。陽がさすと一斉に鳴き だす。里にはいないのでこの地方の人も案外春蝉を 知らない。五月も中旬になると、威勢のいいホトト ギスがやってくる。全山聞こえ渡るような大きなけ たたましい声で鳴き、聞きなしが、あの早口言葉の 「東京特許許可局」とよくいわれる。岡山観測所で は誰が造ったのか(気を悪くする人がいたら困るが) 「○○ちゃんてっぺん禿げたか?」だという。その つもりで聞くと、そう聞こえるから不思議である。 きりっとした目、端正な姿、しかし見かけによらな い横着者で、よくウグイスに托卵し、自分では育て 第4章 竹林寺山の四季 渡邊悦二 岡山天体物理観測所助教授
131 ない。ウグイスもウグイスで、自分より大きなホト トギスの雛にせっせと餌を運ぶ。観測中、ドームの ベランダに出て星を眺めていると、時々鳴きながら 飛んでいく。早朝鳴くことが多いが、夜中も時々鳴 いている。相前後して、ヨタカが洗濯板を叩いたよ うな声で鳴く。一度聞くと忘れない。昼間は林の中 で寝ているため、なかなか見ることは出来ないが、 なんともグロテスクな気持ちの悪い姿と色をしてい る。夜中に歩いていると、すぐそばを羽音を立てて 飛んでいく。あまり気持ちのよいものではない。漢 字で夜鷹と書くが、名前に似ず飛んでいる虫を餌に している。江戸時代にはヨタカはあまりよい例に使 われなかったが、夜行性というばかりでなく、姿、 色からも嫌われた気がする。 梅雨になると、毎日霧がすっぽり覆い、外界から 切り離された感じになる。特に、霧雨がしとしと降 り、濃霧がたち込め、10m先も見えなくなるような 夜、一人で山にいるとなんとなく心細くなるもので ある。ずっと昔のそんなある夜、外に出てみると松 林の中で誰かが口笛を吹く。低い単調な音、ただヒ ューと2,3秒間聞こえるだけ。また4,5分して ヒュー。まさか、こんな夜更けに誰が林に!全くう す気味悪く、その夜早々にベッドに引き上げたこと を覚えている。翌日それはトラツグミ(別名ぬえ) とわかった。ああ、この鳥が有名な「ぬえ」かと、 それまで本で知ってはいたが、そのときは思い出さ なかった。「ぬえ」は源頼政が退治したという怪物 で、鳴き声は「ぬえ」の声だったという。又悲しげ な声なので万葉集では片恋の枕詞として使われてい る。その他平家物語、世阿弥の能等にもでてくる。 又、俗にいう「ぬえ的存在」のそれだった。その後、 たまに随分離れている2匹が、かけあって鳴いてい るのを聞いたことがある。2匹の音程がすこしずれ ているので、調子っぱずれであるのがなんとも怪し く、又悲しく聞こえる。こんな濃霧の夜、窓からも れた明りをめざして(無論天文台は明かりを外にも らしてはまずいのだが)、オオミズアオという美し い大型の「蛾」が飛んでくる。淡いブルー色で、小 さい丸い紋が4つある。あまりに美しいので、剥製 にしてそっと持っている。しかし近年見たことがな い。くぬぎの葉が好物であるが、近くのくぬぎの木 が無くなった為であろうか。季節は違うが、秋にな ると、時々「ヤママユ」が飛んでくる。これもオオ ミズアオとちょうど同じくらいの大きさの蛾で、同 じく紋が4つある。全体は茶色で、あまり美しい蛾 ではない。4月に孵化し、6月下旬に蛹になるが、 繭は目の覚めるような鮮やかなライトグリーンで、 上質の天蚕糸がとれるので珍重され、最近飼養され ている。時々自然に多量に見つかり新聞をにぎわす こともある。 天文台山系に限らず付近一帯の松林は、松くい虫 の被害が多く、全滅しているひどい山もある。その ために、毎年、5,6月の2回に分けてヘリコプタ ーによる殺虫剤の空中散布が行われる。マツノザイ センチュウ(1mm前後、自分では移動できない) を運ぶカミキリムシを駆除するためであるが、同時 に多くの生き物も殺してしまう。空中散布の後、ス ズメバチが道路上でうごめいているのを見つけ、ぞ っとした。最近では、松くい虫の被害がひどいのは、 酸性雨の為だとか、工場の煤煙とかいろいろ言われ、 空中散布も減ってきた。その為か一時減っていた小 鳥がここ1,2年増えたように思われる。 冬の天文台は大変殺風景であるが、それでも天気 の良い日にはメジロ、エナガ、シジュウカラが一緒 に群れをつくり、殆ど同じ時間帯に同じコースを通 っていく。ドーム付近の椿、山茶花の花によく群れ ている。アオゲラ、コゲラのキツツキ類はとてもき れい(図4−1参照)で、しかもしぐさがなんとも おもしろいが、構内の電柱に穴をあけ、時々交換の 憂き目にあう。その他ツグミ、シロハラ、カケス、 ギャラリー 図4−1 青ゲラ
132 ジョウビタキ、イカルとけっこうにぎやかである。 小動物も冬には私たちの前によく姿を見せる。野 兎はドーム付近にも多く生息し、時々姿を現す(図 4−2参照)。狸は道路を歩いているのをよく見か ける。昨年の冬、夜中に帰宅途中、カーブを曲がっ たとたん親子連れの5匹の狸に出くわし、急ブレー キを掛けたが間に合わず、1匹をはねてしまった。 鈍い音がし、よたよたしながら雑木林に入ってしま った。付近を探したがみつからない。なんとも可愛 そうで寝つきが悪い夜だった。狐もいるとのことだ が姿は殆どみせない。猪は以前、大変多く生息し、 里のほうではかなりの被害が出ていたが、最近はめ っきり減った。その頃、構内のテニスコートにまく 塩化マグネシュウムを時々なめにやってきていた が、足跡も滅多に見られなくなった。 観測所付近には特別珍しい生き物は生息していな いが、四季折々、色々な小鳥がやってくる。最近、 岡山に来られる方はとても忙しそうで、観測、睡眠 以外の時間は計算機に追われ、あるいは持参した宿 題に追われ、大変仕事熱心である。気分転換にたま には少し自然に親しみ、散策などされてはいかがで しょうか。 草木編 岡山天体物理観測所のある竹林寺山は、海岸より 10km程内陸に入り、中国山脈と四国山脈に囲まれ た気候温暖な地にある。又、瀬戸内の海がいっそう 急激な気象変化を和らげてくれる。2kmほど東の 峰つづきの遙照山には中世頃、厳蓮寺と48坊もの山 上伽藍がありこの地方の山岳仏教の中心地であっ た。いまでも薬師如来と釈迦如来が二仏一体になっ た石仏が薬師院に祀られている。縁日には多くの信 者が登ってくる。また、天文台のある通称竹林寺山 は市平山と呼ばれ、寛文年間廃寺となった竹林寺が あった。今も、それらの遺跡が方々にあり、出土品 も多い。いずれにしてもこの山系一帯は当時そうと う賑やかであったらしい。 早春、優しいこぼれ陽が射す林の中で、春蘭がひ っそりと咲いている。昔から幽玄と枯淡の味を愛さ れ、よく栽培されてきた。この雰囲気がそうなのか、 この地方では「ジジババ」と呼ぶ。林の奥に入ると、 アセビの花が壺状の房を多数下向きにして咲いてい る。馬が食べると苦しむので、馬酔木(あしび)の 名がある。別の地方では鹿も食べられないところか ら、シシクワズとも云うらしい。殆どは白花である が、時々赤花もある。春の陽射しが一段と強くなる と、ワラビ、ゼンマイ、タラの芽と山菜の季節とな る。しかし嫌われもののマムシが活動をはじめるの で、山菜採りは注意が必要である。 第4章 図4−3 笹百合 図4−2 188cm反射望遠鏡ドーム前に現れた兎
133 5月にもなると、風の強い日が多い。この季節、 松の花粉が飛び、車の屋根は薄黄色になる。夜は露 で飛ばないため、夜間観測用の鏡類は比較的きれい だが、太陽望遠鏡の鏡、ドームの床等はそれはもう 誠に汚くなる。杉の花粉症の人は多いが、松の花粉 症の人はいないのだろうか? 霧が立ちこめる梅雨の頃、竹林寺山系の北側頂上 付近で、この地方では珍しいササユリが咲く(図 4−3参照)。葉がササの葉に似ていることからサ サユリといわれるが、淡いピンクをした質素なユリ である。野にあるときには、ほんのりといい匂いが するが、5〜6本も部屋に生けると少し強すぎて気 分が悪くなる。ササユリの生育環境は微妙で、同じ 山系のほんの少し南に移植するだけでもだんだん退 化して枯れてしまう。(ちなみに種をまくと花が咲 くまでには6〜7年かかる)蒸し暑い真夏になると、 構内から少し離れた湿地に、鷺草が純白の可憐な花 を咲かせる。自然の造形の巧みさとはいえ、誠に芸 術品そのものである。こんなすがすがしい花が他に あるだろうか。一時暑さを忘れさせてくれる。そこ はよく陽のあたるきれいな水が流れている湿地でち ょっとした群落を作っている。しかし山野草ブーム なのか、心ない者にごっそり持っていかれ、白鷺の 群れとはいかなくなった。付近のトキ草、水苔も同 様すっかり荒らされ少なくなってしまった。 ススキの穂が秋風を運び彼岸も過ぎると、松茸の 季節となる。構内および付近の赤松の林で、今でも 少量ではあるが収穫があるようだ。しかし最近めっ きり減り、観測者も時々入山するようだが、お土産 にしよう等と考えてはいけない。運動のつもりで出 かけるとよい。松茸以外の雑茸類もすっかりなくな ってしまった。やはり酸性雨のためであろうか。ず っと昔、私も知らぬまま入った松林で松茸を見つけ、 着ていた白衣を脱いで包み、肩に背負って帰ったこ とがあるが、もうそういうことは無いだろう。ちょ うどこの頃、ナツハゼ(この地方では山なすびとい う)の実が熟れる。大豆くらいの大きさであるが、 艶のある黒褐色になったよく熟れた実は甘酸っぱく て美味しい。実のついた枝ぶりのよい木は、花生け によく使われる。いつの頃か、この山系も伐採の後 に、ヤシャブシの木を植えたようだ。禿げ山に植林 の為よく植えられるので、ハゲシバリと云われてい る。いたるところにあるが、10月になると青い楕円 の実をつける。霜がくるようになるとだんだん茶色 になり、落葉した木に実だけが残り翌年花が咲くま でいつまでも汚らしくぶらさがっている。茶色にな る前の実は染料として使用され、実に渋い自然の薄 茶の色合いに染まるらしい。ツルリンドウ(図4− 4参照)、キキョウ、オミナエシ、ワレモコウ、ハ ギ等秋の草花がそろそろ終わる頃、構内のあちこち にセンブリが小さな花を咲かす。民間薬として一般 的であるが、この花は美しいと云うよりほんとにか わいい。ガラスコップにいけるとよく合う。冬の山 の中は寂しいが、ヤブコウジの実だけがひときわぽ つんと赤く目をひく。どこにでもあるが、正月の寄 せ植え用によく使われる。マンリョウ、センリョウ に対してヤブコウジを十両と呼ぶ。百両はカラタチ バナだそうだ。一月もなかばを過ぎると真っ赤な山 椿が咲き出し、ドーム前の山茶花も咲き、小鳥達の さえずりが賑やかになってくる。もう春がそこまで きている。ぽかぽかと暖かい日に、ゆっくり構内を 散歩するのも、又楽しいものである。 ギャラリー 図4−4 つるリンドウ