135 「東洋一」と称せられる口径1.9メートルの大望 遠鏡が、岡山県の西端にちかい「竹林寺山」に設置 されたのは、昭和35年の春、もう八年の昔になる。 標高372メートル、松林に囲まれたこの小丘は、 瀬戸内海に浮かぶ島々の上にはるかに四国の山なみ を眺める景勝の地であるが、観測所開設と同時に禁 猟区に指定され、うぐいす・ほととぎすをはじめ、 おおくの野鳥の声をきき、深夜には、うさぎ、狐、 そしてまれには猪の姿をみかけることもある。 私たちの住居は、10キロはなれたふもとの町にあ るが、観測の時には山上に泊まりこむ。一年の三分 の一は山上暮らしで、テレスコープ・ウィドウ(望 遠鏡やもめ)というのも天文学者の家族の宿命かも しれない。 はじめに東京から赴任した3人の職員で出発し、 やがて現地採用の人々も交えて世帯が10名ほどに発 展したころ、一匹の小犬が山上の私たちの所にすみ つくようになった。柴犬がかった雑種だが、顔だち もりりしく、また観測所の夜食の残飯整理にも好都 合で、なんとなく飼主不定のまま飼いつづけるよう になった。 大変に人なつっこい犬で、口移しにクッキーを与 えるK君にも、顔を見れば足蹴にするN君にも、足 跡をおうようにして尾をふりながらついてくる。コ ロコロと肥えたその形からか、あるいは私の名前を もじってつけたか、いつしか「コロ」という名前に 決まってしまった。 毎年三月はじめには、この十六万坪の構内の境界 ギャラリー コロのはなし 石田五郎 元岡山天体物理観測所副所長 コロ
136 線を、職員一同で巡視する*。こ の「山歩き」の行事は、コロには 一番愉しそうである。一列縦隊の 後になり、先になり、岩をとびこ え、やぶをくぐり、走りまわる。 春先のワラビ狩、節句の餅を包む ガタラ(山帰来)つみ、あるいは 秋のタケ(松茸)引きと、構内を 歩きまわる私たちのあとさきに、 いつもコロの姿が見られた。犬同 士とよりも、人間の社交の時間が 長いので、水泳ぎもN君のスパル タ教育によって覚えたし、オス犬 でありながら片足をあげるという 方法を知らず、長い間妙な姿勢で小用を足していた。 小供のころから山野をかけまわったその足腰は、 地元のハンターから十何万にも値ぶみされたという 話もきいた。 時折はうさぎをおいかける。初めてコロがうさぎ をつかまえた時は、一番コロをかわいがっていたW 君がいあわせたが、最後に首筋にとびつく時の形相 は、野性をとりもどしたようで恐ろしかったという。 その獲物は私たち一同で頂戴してしまったが、コロ の人間不信はこの時にはじまったらしい。ちか頃、 うさぎと格闘して、耳の先を真赤にそめても何食わ ぬ顔をして戻ってくる。 私たちの観測所は、日本の多くの天文学者によ って利用され、一年のスケジュールに従い、毎週、 数人が交代で来山する。そして山上での孤独をコロ によってなぐさめられているようだ。雲って、少し イライラと待機する観測者には、コロは中年から覚 えた、「お手」や「伏せ」でお相手する。また観測 を妨害する深夜の闖入車は、その吠声で追い返す。 コロの名前を知らない天文学者はモグリといって もよいかも知れない。 このごろひときわ鼻先のシワのふえた、この老犬 の健在を祈ってやまない。 (小笠原流挿花  1968年4月号) 第4章 編集者注:*図7−12に構内境界線視察の写真