実際にデバイスを手に入れて天文学者自身の手で 天文用CCDカメラを作ってみようという試みは3 大学が獲得した宇宙研の基礎開発費3本(家、小暮、 田村)をまとめることで立ち上がった。光栄にも私 が実際にエレクトロニクスを作ることになったが、 これがその後自力更生CCDカメラ路線を日曜大工 路線に終始させてしまった近因となる。このプロジ ェクトのリーダーだった家さんが6月に渡欧したこ とにより、実質的な指導者は我が田中済先生にバト ンタッチされる。家さん渡航前にカメラのパワー ONをと願ったが7月にずれ込んでしまった。回路 は東芝川崎工場の亀田さんに御指導いただいた。と ころどころに猛烈にたくさんのトランジスターが密 集していた。当時出始めていた最高速D.C.OPアン プ(最高価でもあった)で置き換えれば簡単になる だろうと試してみたが、リンギングが出てしまい使 えそうになかった。田中先生の御指導のもと東芝の 回路を解析し、あらためてそのノウハウの奥深さに 舌をまいた。たった10円のトランジスターで最高の 性能を出していたのである。こうした最高級の周囲 のサポートのもと、パワーONテストを行った。多 忙を究める田中先生はいつものように出張中であ る。アマチュアの私には信号が出ているのかどうか 定かではない。CCDを手で覆ったり離したりする と信号がアップ・ダウンするが静電効果による回路 自体のD.C.レベル変動のようにも思える。とにかく 切れのいい変化ではないので完璧でないことは確か である。何か間違っているのだろうといろいろやっ ているうちにかのD.C.レベル変動もなくなった。や っぱりノイズだったんだろうか。デバイスはうんと もすんとも言わなくなった。やっぱり死んじゃった のかなぁ。いや、またD.C.レベル変動が現れるかも しれない。田中先生が帰ってくるまで待ってまたパ ワーONしてみよう。でも、間違いなく死んだなぁ。 えらい損失を出してしまったなぁ。これで一年間は 間違いなくプロジェクトは停止だなぁ。会わす顔が ないからしばらくは学会に出席できないなぁ。そう だ、多摩川大橋にいって東芝川崎工場を見ながら川 に飛び込もう。そう決断し、その日の午後は早めに 帰宅した。ごちそうを食べてみな忘れた。 2年後、デバイスはNEC-CCDに替わっている。こ の年の夏、古巣岡山太陽クーデへ久しぶりに行った。 西・牧田両先生がついに最先端のミニコンとグラフ ィックディスプレイ(商品名グラフィカ)をマグネ 101 観測装置 岡山製CCDカメラ 立ち上げの頃 川上 Mullard Space Science Laboratory, University College, London
102 トグラフ用に導入したのである。天文台エレクトロ ニクスの最高峰、浜名さんがソフトウェアー、ハー ドウェアーの双方を忙しく調整されていた。世の中 はどんどん進んで21世紀的になって行くなぁと感じ た。もう我が愛しき写真は光学太陽観測でも使わな くなり、電波観測みたいになってしまうのだろうか と不安にすらなった。乗本さんに会った。今やって いるカップヌードル容器を使ったCCD冷却のこと を得意気に話したら、「そんなことじゃいけん。わ しがちゃんとしたデュワーを作っちゃる」と言って 雨の中、夜中に天文台へ上がってきて旋盤、フライ ス盤を駆使して小型のデュワーとその中に収まる CCDホールダーを使ってくれた。私はそれまで半 導体のデバイスの経験・実績が全く無かったので天 文関係者からはただの気まぐれと思われていた感が ある。田中先生だけが味方だと思っていたのだが、 太陽磁場ポラリメーター以来縁のある乗本さんが何 も実績のない私を見込んでくれていると知り無償に 嬉しかった。私の敬愛する清水さんは無感心そうだ った。“やっぱり実績がないからなぁ。早く結果を 出さなければ”と思った。今から思うと私の太陽磁 場からCCDへの心変わりを無言で叱責していたの かも知れない。 田中先生の運動でかろうじて動き出したCCDカ メラを翌年正月に低温度星のグループが行ってきた 太陽クーデによる星の超高分散分光観測に使うこと が決定。小平総監督(元台長)曰く“αOriという 一つの星をすみからすみまで物理分光の手法によっ て明らかにする”。すばらしい新しい天文学が開か れる予感がした。清水さん乗本さんの御尽力もあり 乗本製デュワーに2段ペルチエ、水冷、Dry窒素を 使用することで−30℃までCCDを冷却できた。窒 素は冷却されたCCDに露がつかないようにするた めである。現実はしかし、厳しかった。αOriが全 く写らないのである。CCDカメラはこちら岡山に 来てから天才=尾中によってマグネトグラフ用ミニ コンにつながれていた。データ取込終了後ただちに 一次元のスペクトルがグラフィカ上に現われる。す ごい装置を作ってしまったと自分たちでも感動して いた。コンピューターのスピードのこともあり CCDの全ピクセルを読み出すのに2分かかったが 縦横に張られたケーブルを今データが通行中かと思 うと無上に心地良かった。しかし、星が見えない。 対象を全天一の輝星シリウスのNaD線にした。そし て一時間のシリウスの露光後、スペクトログラフの シャッターを閉じてCCDの純暗画像を一時間積分 した。2画像を差し引きするプログラムは尾中さん が急きょ作った。コンピューターの中で引き算をし たら何とNaD線が見えているではないか。私は尾中 さんと抱き合って3回、4回とジャンプした。二人 の頭が天井にあたりそうだった。これで自力更生 CCDの株が一気に上がった。“感度には今一抹の未 確定要素があるがデータの精度は写真をはるかにし のぐ”この実験観測以来、私は尾中さんを根性の人、 CCDカメラの救世主第1号と思っている。 時を同じくして清水さんを責任者とする新カセグ レン分光器のプロジェクトが3年目の最終年度にあ たっていた。人を育てることを第一主旨とする清水 さんは当然のごとく私に分光器用にCCDカメラを 作ってみないかと誘ってきた。私は天文学的ターゲ ットなどは問題でなくただ面白そうだったので二つ 返事で参加を表明した。前回の太陽クーデでのデー タから感光エレメントからCCD部への電荷転送が 低照度のときにはひどく劣下することがわかってい たので、それではと観測前に一定量の低照度光を当 てることにし、特別の装置を分光器の横に貼り付け た。これはプレ・フラッシュという技法で初期の冷 却半導体素子ではひんぱんに用いられた。冷却は水 冷+ペルチエ。カセグレンは望遠鏡の方向とともに 動き回るので水パイプは極軸まわりというひどく大 がかりなものであった。季節は春。CCDの温度は 意外に下がらず−20℃〜−10℃であった。星 は・・・・・1等星はすぐに写った。しかし8−8 等星となるとどうも・・・・目的の銀河は夢の夢。 月は写った。コンピューターの性能は太陽クーデの ものよりさらに良い。データ取得リアルタイムプロ グラムは特殊なソフトウェアー技能をもつ西村さん が書いた。旧カセの経験も多い西村さんによれば月 の明るい日には空が写るという。こちらは月そのも のがやっと写るのである。うーむ頭が痛い。我が終 生の研究パートナー乗本さんにも「なんじゃい」と 馬鹿にされてしまった。感度との格闘はその後10年 近くにわたり最後まで続く。今から15年以上も昔の 話である。 第3章