1.写真からCCDへ
大学院生になった1972年から理論主体の勉強を始
めたが、観測にも強い興味があり、高瀬、小平先生
にお供するかたちで岡山にお世話になり始めた。そ
の後何年かは、せいぜい写真乾板の近赤外線感度を
アンモニア増感法やフォーミングガス増感法で改善
する実験を手がけた程度で、基本的にユーザーとし
てニュートン焦点での銀河の撮像、マルチチャンネ
ル測光器でのセイファート銀河の測光、旧カセグレ
ンII分光器での銀河や超新星の分光などを行い、い
くつかの論文を書いた。だが正直、岡山の観測デー
タから世界に互する論文を書くのは大変だと痛感さ
せられた。
CCDカメラなるものの威力に感心を持ち始めた
のは1970年代末であったと思う。だが、CCDの威
力を実感したのは、1983−1984年に欧州南天天文台
の3.6m望遠鏡カセグレンエシェル分光器、同デン
マーク1.5m望遠鏡のCCDカメラを使った観測を行
ったときであった。岡山で写真観測やI.I.観測し
ていたのとは、望遠鏡の性能の差もさることながら、
比べものにならない感度と精度である。彼我の差が
思っていた以上に大きいことを思い知らされた。こ
れはなんとしても、日本でCCDカメラを実用化し、
普及させねばと思った。2年間の英独留学のあと84
年夏に帰国すると、田中済先生や川上肇さんたちと
国内の電機メーカー数社にフレーム転送型国産
CCDの開発を打診に回った。技術者は興味を示す
が当時の国内大手は日本TI社以外はどこも儲けにな
らない開発にラインを空けるゆとりがなかった。幸
い、CCDカメラ製作の科学研究費(1985−1986年
度)が採択となり、液体窒素冷却方式で自己完結型
のCCDカメラシステムを米国より購入することと
し、田中済、川上肇、西村史朗、渡辺悦二、佐々木
敏由紀各氏ほか岡山総動員での立ち上げとなった。
まずは太陽クーデ室で予備確認実験を行い(図3−
58参照)、1986年2月26日に188cm望遠鏡のニュー
トン焦点に初めて搭載した。ところが、CCDが読
めない。デユワーを移設した際にCCDが静電破壊
したらしい。その後3日間は快晴で折角のファース
トライトを目前に起こった事故に呆然とし、東海岸
のメーカーと深夜の電話協議を繰り返したことを思
103
観測装置
写真からCCDへ、
そして
像改善への基礎開発
家
正則
国立天文台教授