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188cmの据え付けについては1961年代の天文月報
の石田五郎氏の記事に詳しい。ここでは印象的だっ
た記憶を簡単にたどってみるに留めよう。1960年
に入ってからドームの建設、建屋の内装が着々と進
められた。当時は建築、ドーム、昇降床、メッキ装
置、クレーン、電気、水道などなどの業者が20社以
上集まり、時間と空間の取り合いの調整に、また報
道陣と見学者の多いのに苦労した。
望遠鏡が北を通過する時に分光器の下端がクーデ
の屋根の北側にぶつかることに石田氏が気が付き慌
てて施設部に電話してやっと難を逃れたとか、クー
デ分光器用の張り出しピアと建物の入り組んだ構造
を理解させるのに苦労したり、蒸着装置、クレーン
や昇降床の取り付け部の構造で議論したり、ドーム
扉のワイヤ緊張装置を大改造したりと枚挙にいとま
がない程問題が多かった。施設部との連絡も現在の
様にスムーズに行かず即決を迫られる目の回る毎日
であった。
据付け作業は末元、石田、清水、野口、乗本の各
氏で始まった。91cmと188cmの組立てが始まった
ころ、グラブパーソンズからは職長級のホールと器
用で力持ちのランの2名の機械技術者と少し遅れて
システムエンジニアのウォーレス氏が来日、据え付
け調整を行った。ドーム南側に大きなデリックを立
て、北ピアの後ろに太い頑丈な二又を組み、滑車と
ワイヤとウインチとチェーンブロックを使っての離
れ業である。ベースキャスティング、北の軸受け、
極軸、赤緯軸バランス、鏡筒の順に組立てが進んだ*。
翌年の春にもクーデ分光器の搬入が行われたが、
英国の技師達も日本の鳶職の優秀さに舌を巻いてい
た。ベースキャスティングの軸受けの座が球面にな
っているのを見て感心したり、緯度に合わせたレベ
ルゲージを使って極軸を設定したり、ウオームギヤ
の噛み合わせにも専用のゲージを使ったり、われわ
れには初めての経験が多く、好奇心をかきたてられ
る毎日であった。
英国製のネジ類は米国インチとはピッチが合わな
いことが多く無理やりにタップを立て直したりして
なんとか急場をしのいだ。また近所の工場で一寸し
た細工を頼もうとしても、こちらは尺貫法しか通ぜ
観測所と共同利用
岡山天体物理観測所
立ち上げ期
清水
実
元岡山天体物理観測所副所長
編集者注:*P46、47の建設中のスナップ参照