49 1.旧き良き時代 30歳代以下の岡山ユーザーには信じられないこと かも知れないが、かつて岡山188cm望遠鏡は申し込 みを出せば、ほぼ確実に何日かの観測時間が得られ る時代があった。観測所が動き出した1960年代には (その頃活躍した人はほとんど引退したので、今か ら思えば神代の時代か)、観測申し込みをする人も 少なく、面倒な調整をする必要も無くて平穏な時代 だったようだ。筆者が観測を始めた1970年代の前半 には、人数が増えて来たからか、申し込みを出す前 に各機関で調整をする『自主規制』が行われていた。 当時の申し込みは年一回で、集まった申し込みは東 京天文台で『プログラム相談会』という会合で割り 付けの案が作成されていた。このやり方はよほどの ことが無い限り、申し込みを断ることはせず、込み 合った場合には夜数を少なくする事で収めるという 方法が取られていた。1980年代に入ると銀河の観測 を希望する研究者が増え、必然的に特定の季節の暗 夜に希望が集中する現象が起きてきた。はなはだし い場合には、2ないし3夜の観測ということも起きる ようになった*。ところが、岡山の天気では、この ような短期間ではせっかく行っても手ぶらで帰るこ とが珍しくなくなり、研究者のフラストレーション が高まった。 2.長ーい議論 そこで、1980年代になるとユーザーズミーテイン グ(UM)の度毎に、この現状をなんとか打開しな くては、という議論が行われた**。いろいろな議論 は有ったが、要約すれば、(1)シビルミニマム論と(2) 共倒れ防止論の対立であったと見る事ができる。(1) の論拠は、岡山188cmというものは国内の研究者が アクセスできる唯一の本格的設備であるから、皆で チャンスを分け合って機会を保証するべきであると いう事で、始めはこの考えが強かったように思う。 これに対して、(2)を主張する人は、今までのやり方 では誰もまともな成果を挙げられなくなる(共倒れ) のおそれがあるので、なんらかの方法で課題を選択 観測所と共同利用 岡山188cm望遠鏡の 共同利用の変遷 スクリーニング制とプロジェクト制 定金晃三(大阪教育大学) プログラム小委員会委員長 (任期:1998−2001) 編集者注:  * P186にスクリーニング制導入直前(1988 年)の観測日程表が示されている ** P195にスクリーニング制導入に関する議 論の資料が示されている
50 し、一流の成果を挙げられる仕組みを導入する事を 求めた。どちらにも一応の説得力があったので、議 論は容易には収束しなかった。同じ頃、次期大型望 遠鏡計画(当時はJNLTと称していた)の議論も進 みつつあり、1980年代の後半に入ると東京天文台の 改組が日程に登るようになった。そのような中で、 岡山の観測プログラムについては、まず年2期制の 導入が決まり(86年11月)、2年後には、スクリーニ ング制を取り入れて188cm望遠鏡の観測は5ないし6 夜程度を単位としてプログラムをを作成するという 方向が固まった(88年10月)。この間、国立天文台 が発足し(88年7月)、それに伴ってプログラム相談 会に代わるプログラム小委員会が活動を始めた。レ フェリーに依頼してプロポーザルの評価をしてもら い、それに基いて採否を決めるスクリーニング制の 実際の適用は89年後期に始めて行われた。 3.スクリーニング制の功罪 以来約12年間スクリーニング制による運用が続い ているが、果たしてこのやり方は岡山で一流の成果 を挙げるという目標を達しているのだろうか?観測 プログラムの平均夜数を5ないし6夜程度にするとい う基準は、ほぼ厳格に守られており、何のデータも 持たずに帰るというケースはほとんど無いと聞く。 一方、その裏には何回も採択されない事が続いて、 岡山188cmでの観測を止めてしまった(止めざるを 得なかった)研究者もいることは事実である。観測 天文学研究のすそ野を堅実に拡大するには、スクリ ーニング制をやっているだけでは駄目で、使える望 遠鏡時間を増やす以外に本質的な解決策は無いこと は自明であろう。その点で2000年から始まったすば る望遠鏡の共同利用は、岡山188cmの使い方にも根 本的な転機をもたらすと考えられる。 4.プロジェクト制の導入と今後 1995年頃になると、世界的に2m級の望遠鏡の使 い方が変わってきたことが認識され始めた。それは、 3ないし4m級の上にケック望遠鏡のような大型装置 が稼動し始め、2m級の望遠鏡は長時間占有してプ ロジェクト的な観測で基礎データを得ることが主流 になってきたからである。岡山観測所のUMでも何 度かそのことが提起されたが、時期尚早ということ でなかなか日の目を見なかった。筆者がプログラム 小委員長になった1998年のUMでプロジェクト制の 導入を提起し、議論のすえ一年後のUMで具体的な 要項の案を提示することになった。1999年のUMで 提案した要項案が一応承認され、2000年前期からプ ロジェクト観測の申し込みを受け付けることになっ た。これが実現した背景には、2000年9月からすば るの共同利用が始まることへの期待があったことは もちろんである。現在のプロジェクト制はかなり制 限のきつい状態(たとえば、共同利用時間の20%を 超えないという枠がある)で運用されているが、近 い将来現行の要項は見直しを迫られるだろう。現在 岡山観測所のあり方そのものが問われる状況が生じ ている。すばるの時代に観測天文学の基盤をしっか りしたものにするために、国内の観測施設の担う役 割はどうあるべきか、また、国立天文台と大学はど のように連携していくのが良いか、そのような問題 が今問われている。 第1章