52 1.岡山と共に 岡山天体物理観測所が共同利用観測事業を開始し たのは、1961年、私が大学院修士課程を卒業してド イツに留学した年であった。私が1964年末に帰国し た時には、既にカセグレン分光器による晩期型星、 A型特異星など、恒星の分類学的研究が盛んに行わ れて国際的にも高く評価され、その成果が次々にク ーデ分光器による分光学的研究に移されていく最中 であった。また、大気圏外天体観測が始まり、Sco X-1の光学天体の同定が行われていた。多分それか らの10年間が、188cm望遠鏡の最も生産的な時期で あったと思われる。私はその間、1967年から69年に かけて、カリフォルニア工科大学の客員研究員とし て、Mt.Wilsonでの恒星の分光観測の傍ら、銀河の 分光観測を始め、引き続き帰国後、岡山の188cm望 遠鏡のニュートン焦点で銀河の撮像観測をしなが ら、間もなく導入されたカセグレンT.T.分光器で、 コンパクト・ギャラクシーの分光観測も始めた。 188cm望遠鏡は、恒星の物理観測にとっては大変に 優れた装置だったが、V=7.5等より暗い星の高分散 分光は、露出時間が長くなり、天候に余程恵まれな いと、写真乾板をいくら増感処理しても、十分な S/Nのスペクトルを得るのが困難だった。また、急 速に明るくなった岡山の夜空は、F比の明るいニュ ートン焦点での銀河の直接撮像を妨げ、T.T.分光 器での暗い目的天体の同定に、予想以上に時間がか かる事態を招いた。多分こうした観測条件の劣化は、 世界的な傾向で、この頃から、欧米の天文先進諸国 により、アリゾナやチリ、ハワイ、スペインなどの 観測適地に、3−4m級の望遠鏡が建設され始めた。 これらの新しい望遠鏡群は、基本的にはパロマー5 m型であったが、観測適地に設置されたことで、パ ロマーの5mをも凌ぐ初期成果が得られつつあっ た。わが国の観測者は、その頃から働き出した木曾 シュミットのサーベイ観測のフォローアップと並ん で、より暗い恒星や銀河の研究に向けて、高い空 間・波長分解能のデータの取得を、強く望むように なった。一部の研究者は外国の望遠鏡を利用する好 運に恵まれたが、多くの研究者は188cm望遠鏡を工 夫して我慢強く使うことによって、国際的な発展に 対抗し続けた。この傾向は、岡山の188cm望遠鏡が 第1章 岡山からハワイへ 小平桂一 前国立天文台長
53 育てた研究者の増加とあいまって、188cm望遠鏡の 観測申し込みの過密化を招き、やがては、細切れ観 測の弊害が無視できない程になった。当然の結果と して、より大口径の次期望遠鏡の建設構想が浮上し、 岡山188cm望遠鏡で育った研究者達が、188cm望遠 鏡を超えようと、模索を始めた。 2.次期望遠鏡への模索 1970年代半ばに始まった次期望遠鏡計画の検討 は、岡山観測所の機能拡張・更新という考えを基に 始められ、岡山周辺の市街光を避けた適地に、 3.5m級のパロマー型光学望遠鏡を建設する案が、 0次の叩き台となった。このため、岡山天体物理観 測所を中心とする東京大学・東京天文台の関係者 は、3.5m級望遠鏡の技術的検討と、岡山・広島地 方の建設適地の調査に乗り出した。しかし、このよ うな取り組みに対して、当時の天文学界内から、主 として次のような批判が向けられた。 a 日本の大学で、本格的観測設備を持っている のは、東京大学だけである。次期光学望遠鏡は、 京都大学などの他の大学が中心になって建設を 進めるべきである。 s  3.5m級望遠鏡は高価な施設であり、日本列 島よりも観測条件の優れた海外適地に建設すべ きである。 d 次期計画の実現までには可也の年月を要す る。パロマー型を超える、新技術を先取りした 望遠鏡を構想すべきである。 f 新望遠鏡は、光学域のみに限らず、これから の発展が期待されている赤外線域でも、高い性 能を持たせるべきである。 g 現在諸外国は既に3.5m級を建設している。 これから構想する日本の次期望遠鏡は、口径5 m以上にする事を検討すべきである。 h 日本の次期望遠鏡計画は、欧米の大口径化に 習うよりも、複数の小・中望遠鏡からなる光学 干渉計を国内に設置して、個性的な研究を目指 すべきである。建設経費も格段に少なくて済む。 こうした批判を受けて、次期望遠鏡計画に関し、 日本学術会議の天文学研究連絡委員会や日本天文学 会、それに有志により組織された「光学天文連絡会」 などにおいて、数年に亘り多面的な議論が大々的に 展開された。上記の批判の内、sdfgは、お互い に関連していて、その方向で実現するには、多くの 課題を克服する必要があるのは明らかであった。工 学技術的な側面は、産業界の協力を得て何とか克服 できたとしても、建設地に関わる問題は深刻であっ た。海外に設置する方途については、わが国に前例 が無く、また、その場合の岡山観測所の将来像を描 く必要があった。aに関しては、少なくとも次期望 遠鏡を中心とする新しい施設を、天文学分野におけ る全国の大学の「共同利用機関」として新設する方 向で考える、という建設的な案がありえた。hは魅 力的な考え方ではあったが、光学干渉計のような専 用装置では、次期望遠鏡建設を求める全国の多くの 研究者の要望に応えるのが困難であった。日本の天 文学界が当時置かれていた技術的・予算的・政治的 状況からして、安全サイドの「国内中口径」を選ぶ か、冒険サイドの「海外大口径」を決断するかが、 将来を左右する大きな選択枝となった。そのなかで、 1978年に野辺山宇宙電波観測所の大型施設建設の予 算が認められ、行政的にも、次期計画を固めるべき タイミングが迫ってきた。1980年代初めには、光学 天文連絡会による「まず国内中口径、次に海外大口 径」という現実的な案が纏められたが、そのタイム スケジュールが天文学の進展に見合うものかどう か、疑問視する向きも少なくなかった。 3.「すばる」への道 こうした選択を巡って、できるだけ合理的な判断 を下すべく、様々な調査・研究が関係者によって遂 行され、1980年代半ばには、多くの資料が蓄積され た。それらに基づいて、東京天文台の将来計画委員 会や日本学術会議の天文学研究連絡委員会では、 1985年に至って「海外大型」案を真剣に俎上に載せ、 計画推進提案を行い、そのフィージビリティ・スタ ディを関係者に依頼した。これにより、「海外大型」 計画推進の流れは大幅に加速され、多くの人々の努 力・協力によって、ハワイのマウナケア山頂を設置 場所として、「技術検討報告書」「大型光学赤外線望 遠鏡計画説明書」などが着々と纏められ、学界外部 に対しても正式な働きかけのできる基盤が整ってき た。しかしこの間、岡山188cm望遠鏡の利用申し込 みが一層過密化する中で、岡山観測所の将来計画は、 観測所と共同利用
54 「海外大型」計画の行方に依存して、宙ぶらりんの 状態に置かれた。光学天文連絡会と東京天文台は、 プログラム委員会によるレフェリー制度を導入し て、観測時間割り当ての公正と合理化を図ったが、 急成長した日本の観測天文分野の要請を満たすこと は、明らかに難しかった。それだけに、次期望遠鏡 計画の実現が急務となった。その頃行われた臨時行 政調査会の答申により飛び出した、天文・測地学分 野の研究機関再編の可能性や、野辺山宇宙電波観測 所への本格的な全国共同利用形態の導入に押される 形で、「海外大型」案は必然的に、東京天文台の大 学共同利用機関への移行・再編論に結びついてい た。その結果、1988年に国立天文台が設立され、岡 山天体物理観測所も他の観測施設同様に、完全な共 同利用の運用形態に移行した。大型光学望遠鏡ハワ イ建設計画は、1990年度に設置調査費が、また1991 年度に建設費の一年次が認められ、9年間の全国的 な努力の積み重ねにより、1999年度の完成を見るに 至った。 4.岡山の将来に向けて この間、岡山観測所では、利用率の低い観測装置 の運用を停止し、変わってCCDカメラを使った新 カセグレン分光器や、後には赤外線観測装置OASIS を立ち上げて、観測の効率化と新分野の開拓へ挑戦 を続けた。更に長期的な戦略の一環として、新しい CCDカメラを持つエッシェル分光器の制作に取り 掛かった。同様な工夫を模索してきた堂平観測所は、 主力望遠鏡が91cmと小さく、また、関東平野の観 測条件が極度に悪化したため、効率的な維持の目途 が立てられず、「すばる」の完成とほぼ時を同じく して、廃止のやむなきに至った。いずれの観測所で も、設立後40年近くを経過して、ドームや制御系の 老朽化が進み、再三の修理もコストが割高について、 思うに任せぬ状況にあった。観測所の年間生活費に 当たる基本経費は、岡山が約4千万円、堂平が約2千 万円で、修理費がこれに上乗せされた。「すばる」 の完成が近づくにつれ、岡山観測所の更新計画や、 各大学の望遠鏡計画の再検討が精力的に行われだし た。過去10年ほどの間に、外国の中口径望遠鏡を使 う道が開けたこと、各大学グループが、科学研究補 助金などで造った自前の1−2m望遠鏡を、海外適地 に持ち出せる可能性が開けたこと、などの状況の変 化が出てきた。しかしそれだけに、学部・大学院の 教育研究用としての国内望遠鏡と、特定目的で大学 グループが常設・占有できる中型望遠鏡への要請 は、いよいよ切実なものとなって来た。岡山の更新 計画は、これらの諸要素をも勘案して、速やかに実 現できる方向で取り纏められるべきであろう。岡山 からハワイへの道は、いま再び、岡山の将来へと続 いている。既に築かれた岡山の基盤施設を有効に更 新して、国立天文台の支援の上に、複数大学の連合 による運営形態などの導入により、各大学グループ の個性と自主性が十分に発揮できるものとなるよ う、検討が続けられている。一部に従来型の共同利 用形態を残すとしても、2m級望遠鏡のそのような 機能は、今となっては、各大学天文台に譲るべきも のと思われる。 第1章