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私どもの年代は岡山と共に育ってきた気がする。
岡山ができるまでは、日本には太陽以外の天体につ
いて本格的な分光観測のできる望遠鏡はなかった。
私達の学生時代には、大先生が、私の場合には、藤
田先生がアメリカ、カナダで撮影された乾板を借り
て来られ、それをお借りして測定したものである。
その後、本郷の屋上にあった40cm望遠鏡に小型分
光器を製作して明るい星のスペクトルを撮ってい
た。この経験は後で役立ったように思う。
そのような時に188cm望遠鏡ができて、自前の
データを撮ることができるようになったわけであ
る。研究の進展と共に、これを知りたい、あれを知
りたいということが起こるが、それに対応できるよ
うになったわけである。以来停年まで、観測者とし
て岡山のお世話になって仕事をしてきた。
岡山天体物理観測所は1960年に発足した(年表参
照)。初代観測所長の大澤先生、現地責任者の石田
さん、清水さん、三鷹からは末元先生、近藤さん、
西村さん、そして当時はまだ若かった現地の皆さん
が望遠鏡の立ち上げ、調整、運用に献身されて、
種々の困難を克服して、観測所の態勢は整えられた。
以後40年になる。
岡山の地を選んだのは、勿論、星像が小さい、晴
天の年間の偏りが少ないといった天文学的条件から
だが、当時の三木岡山県知事をはじめ、地元の強力
な誘致もあった。実は、これだけ誘致されたのは、
国立天文台の施設のなかでも珍しいことなのであ
る。地元では、鴨方町役場の秋田さん、倉敷天文台
の本田さんに特にお世話になったとお聞きしている
が、お二人とも故人になられた。三木知事は同じ手
で、水島コンビナートも誘致され、数年にして空が
明るくなって困った。知事は多分、天文台とコンビ
ナートが両立しないことを御存じなかったものと思
われる(?)。私達は誘致されたという立場で、県に
観測環境維持への協力を要請した。その結果、恒常
的な観測協力会議が持たれ、実効はなかなか上がら
ないが、各企業と話し合うことはできるようになっ
た。
岡山の望遠鏡は188cm, 91cm, 太陽の3台とも建設
当初から実質的共同利用に供されてきた。現在の本
格共同利用と違って、他機関には観測旅費は出せな
かったし、観測計画の立て方も違っていた。また、
岡山天体物理観測所
と共に
山下泰正
国立天文台名誉教授
(元岡山天体物理観測所所長)