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天体物理学の観測研究を推進するために、大反射
望遠鏡を国内に設置する計画は、当時の台長萩原雄
祐を中心に進められてきたが、昭和28年(1953)5
月、日本学術会議の総会決議を経て政府への要望が
提出され、翌29年6月英国から188センチメートル
反射望遠鏡を購入するための予算措置が国会で可決
された。
大望遠鏡がその性能を十分に発揮するためには、
透明でゆらぎの少い大気状態の場所に設置すること
が必要である。全国の気象資料の解析から、岡山
県・静岡県・長野県内の三候補地が選定され、昭和
29年末から約1カ年、毎月新月をはさむ10日間、こ
の3地点に置かれた口径10センチメートルの同型望
遠鏡による北極星の星像撮影が行われた。この試験
観測の資料をもとに、他の諸条件をも考慮した結果、
昭和31年6月、建設地は岡山県と決定し、試験観測
地であった遙照山西方の竹林寺山(標高372メート
ル)が最適地であるという結論が、文部省より正式
に発表された。
望遠鏡の製作については、昭和29年より、藤田良
雄を委員長とする「74吋委員会」が台内に組織され、
ドームその他の建設工事に関しては、東京大学内に
台長を委員長とする「74吋建設委員会」が作られた。
昭和32年(1957)3月には、「74吋反射望遠鏡設置
に関する覚書」が、岡山県知事と文部次官との間に
交換され、敷地の無償貸与、土地造成、井戸の掘削、
道路の拡幅・新設、電力線・電話線の架設などにつ
いて、県および地元の鴨方・矢掛・金光3町の協力
活動が開始された。
188センチメートル(74吋)望遠鏡は、カセグレン
分光器2基、クーデ分光器1基とともに、英国グラ
ブ・パーソンズ社よりの購入が決定し、昭和30年2
月に5カ年の期限で契約を行った。91センチメート
ル反射望遠鏡(36吋光電反射赤道儀)は、昭和32年
度から3年計画として日本光学工業株式会社で製作
されることになり、製作に必要な諸種の研究・実験
を行うために、「大口径望遠鏡の製作に関する委員
会」が学内外の経験者数十名によって組織された
(委員長は初め萩原雄祐、後に広瀬秀雄)。
昭和33年(1958)12月17日、現地でドームの起工
式が行われ、この天文台を「東京天文台岡山天体物
理観測所」と呼ぶことが、宮地政司台長から発表さ
れた。
昭和34年度末には、まず両望遠鏡を容れるドーム
が完成した。188センチメートル望遠鏡は、昭和35
年4月、英国から神戸港に到着し、玉島港経由で竹
林寺山に運搬された。グラブ社よりは技術者3名が
派遣され、同年5月から組立てを開始、11月に完成
して引渡しを受けた後、望遠鏡および分光器の性能
を調べるための実地試験が行われた。一方91センチ
メートル望遠鏡は、35年4月に組立てが完了し、光
電測光装置および電子冷凍受光器が11月に完備され
て、試験観測に入っている。
昭和35年(1960)10月19日、観測所開所式が188
センチメートル望遠鏡ドームの傍で挙行され、茅東
大総長、三木岡山県知事も列席した。
昭和35年10月の開所式の後、両望遠鏡とも、機械
的・電気的の調整を終え、同年冬および翌36年には
試験観測が行われた。また188センチメートル望遠
鏡のクーデ分光器(ヒルガー・ワッツ社製)は36年
1月に到着し、2月未に組立て・調整を完了、3月
には別途購入の回折格子を装着して良好な分光乾板
を得、さらにクーデ室専用の恒温恒湿空調装置も設
置された。
試験観測の光学検査の結果、収差を示すハルトマ
ン定数が、188センチメートル鏡では0.2、91センチ
メートル鏡では0.4と、実用的には十分満足できる
値を得た。また188センチメートル鏡の極軸の設定
は、天球の極からのずれが48秒という良好な結果で
あった。昭和37年(1962)より本観測が開始された
序
岡山天体物理観測所の建設と東京天文台時代
−東京大学百年史(部局史3,1982年発行)より