13 天体物理学の観測研究を推進するために、大反射 望遠鏡を国内に設置する計画は、当時の台長萩原雄 祐を中心に進められてきたが、昭和28年(1953)5 月、日本学術会議の総会決議を経て政府への要望が 提出され、翌29年6月英国から188センチメートル 反射望遠鏡を購入するための予算措置が国会で可決 された。 大望遠鏡がその性能を十分に発揮するためには、 透明でゆらぎの少い大気状態の場所に設置すること が必要である。全国の気象資料の解析から、岡山 県・静岡県・長野県内の三候補地が選定され、昭和 29年末から約1カ年、毎月新月をはさむ10日間、こ の3地点に置かれた口径10センチメートルの同型望 遠鏡による北極星の星像撮影が行われた。この試験 観測の資料をもとに、他の諸条件をも考慮した結果、 昭和31年6月、建設地は岡山県と決定し、試験観測 地であった遙照山西方の竹林寺山(標高372メート ル)が最適地であるという結論が、文部省より正式 に発表された。 望遠鏡の製作については、昭和29年より、藤田良 雄を委員長とする「74吋委員会」が台内に組織され、 ドームその他の建設工事に関しては、東京大学内に 台長を委員長とする「74吋建設委員会」が作られた。 昭和32年(1957)3月には、「74吋反射望遠鏡設置 に関する覚書」が、岡山県知事と文部次官との間に 交換され、敷地の無償貸与、土地造成、井戸の掘削、 道路の拡幅・新設、電力線・電話線の架設などにつ いて、県および地元の鴨方・矢掛・金光3町の協力 活動が開始された。 188センチメートル(74吋)望遠鏡は、カセグレン 分光器2基、クーデ分光器1基とともに、英国グラ ブ・パーソンズ社よりの購入が決定し、昭和30年2 月に5カ年の期限で契約を行った。91センチメート ル反射望遠鏡(36吋光電反射赤道儀)は、昭和32年 度から3年計画として日本光学工業株式会社で製作 されることになり、製作に必要な諸種の研究・実験 を行うために、「大口径望遠鏡の製作に関する委員 会」が学内外の経験者数十名によって組織された (委員長は初め萩原雄祐、後に広瀬秀雄)。 昭和33年(1958)12月17日、現地でドームの起工 式が行われ、この天文台を「東京天文台岡山天体物 理観測所」と呼ぶことが、宮地政司台長から発表さ れた。 昭和34年度末には、まず両望遠鏡を容れるドーム が完成した。188センチメートル望遠鏡は、昭和35 年4月、英国から神戸港に到着し、玉島港経由で竹 林寺山に運搬された。グラブ社よりは技術者3名が 派遣され、同年5月から組立てを開始、11月に完成 して引渡しを受けた後、望遠鏡および分光器の性能 を調べるための実地試験が行われた。一方91センチ メートル望遠鏡は、35年4月に組立てが完了し、光 電測光装置および電子冷凍受光器が11月に完備され て、試験観測に入っている。 昭和35年(1960)10月19日、観測所開所式が188 センチメートル望遠鏡ドームの傍で挙行され、茅東 大総長、三木岡山県知事も列席した。 昭和35年10月の開所式の後、両望遠鏡とも、機械 的・電気的の調整を終え、同年冬および翌36年には 試験観測が行われた。また188センチメートル望遠 鏡のクーデ分光器(ヒルガー・ワッツ社製)は36年 1月に到着し、2月未に組立て・調整を完了、3月 には別途購入の回折格子を装着して良好な分光乾板 を得、さらにクーデ室専用の恒温恒湿空調装置も設 置された。 試験観測の光学検査の結果、収差を示すハルトマ ン定数が、188センチメートル鏡では0.2、91センチ メートル鏡では0.4と、実用的には十分満足できる 値を得た。また188センチメートル鏡の極軸の設定 は、天球の極からのずれが48秒という良好な結果で あった。昭和37年(1962)より本観測が開始された 岡山天体物理観測所の建設と東京天文台時代 −東京大学百年史(部局史3,1982年発行)より
14 が、使用日程を協議する会合(通称プログラム委員 会)が、昭和36年末に招集され、東京大学(東京天 文台・理学部)のほか東北大学・京都大学の教授も 参加して協議が行われた。この会合はその後も毎年 開催され、東大以外の諸大学の研究者も加えての年 間観測プログラムが組まれるようになった。近年で は観測申込みの集計が使用日数の倍近くにもなり、 プログラムは年々過密化の一途を辿っている。 望遠鏡以外の機器としては、最初から備えた真空 蒸着装置のほか、乾板測定用のスペクトル比較測定 器、マイクロフォトメーター、較正用分光器、乾板 濃度測定器などの測定器類が逐次設置された。 新設の望遠鏡として、昭和40年(1965)度からの 3年計画で、65センチメートルクーデ型太陽望遠鏡 が日本光学工業によって製作され、昭和43年3月に 完成、試験観測を経て、昭和45年(1970)度から本 観測に入った。その使用日程は188センチメート ル・91センチメートル両望遠鏡と同様な手続きで組 まれている。 観測所設立の翌年頃から、東南方約20キロメート ルの水島臨海工業地区で操業が始まり、近隣市町村 の発展と相俟って、人工灯火の散乱光、大気汚染に よる観測環境の悪化が憂慮されるようになった。そ こで東京天文台では岡山県知事を通じて、水島地区 工場関係者と連絡をとり、観測所の環境維持につい て協力を懇請してきた。昭和41年度には文部省試験 研究班、42年度には文部省総合研究班(代表者は東 大工学部小木曾定彰)が組織され、観測所周辺地区 の屋外照明の実測、天空散乱光の理論的研究、遮蔽 度のよい照明器具の開発などが行われた。さらに昭 和47年(1972)2月には、岡山県環境部を中心に関 係各機関、近隣市町村、各企業の間に観測協力連絡 会議を結成、現在までに数次の会議を開催し、観測 環境の保全に対する協力と理解を要請している。 昭和37年(1962)10月24日、天皇・皇后両陛下の 行幸啓があり、宮地台長の説明で、三十分間にわた って望遠鏡を参観された。さて、諸望遠鏡の観測対 象とその後の整備状況はつぎの通りである。 〔188センチメートル望遠鏡〕ニュートン焦点では 太陽系天体・星団・星雲・銀河などの直接写真観測 が主として行われるが、昭和38年(1963)星雲分光 器が設置され、銀河や星雲など微光天体の分光写真 も撮れるようになった。カセグレン焦点には創設時 よりガラスプリズムおよび水晶プリズムを使用する 二種の分光器が装備され、主として恒星の分光観測 が行われていたが、昭和42年(1967)米国カーネギ ー研究所よりRCAカスケード型の映像増倍管が貸与 され、昭和44年にはこの映像増倍管専用のカセグレ ン分光器も完成して、オフセットガイドによる微光 の星雲・銀河などの分光観測が可能になった。また 昭和48年(1973)には広波長域分光計が作られ、49 年にはこの器械による観測と整約のための小型計算 機も設置され、パルサーや楯座デルタ型変光星のよ うな短周期変化を示す天体の観測が実用化された。 クーデ分光器用の回折格子もしだいに各種のものが 整備され、昭和38年にはエッシェル分光器、昭和50 年(1975)にはフーリエ式赤外分光器がそれぞれク ーデ分光器に附設されて、諸種の研究目的に応じた 幅の広い使用が可能となった。 〔91センチメートル望遠鏡〕昭和36年(1961)に はまず光電式UBV三色測光装置が備えられて、恒 星の光電測光、変光星の観測が始められた。昭和40 年には干渉フィルターによる狭帯域測光装置、44年 にはオフセットガイド装置と分光スキャン装置*が 完成した。46年にはフィルターを回転させる三色同 時測光装置ができて、フレア星のような短時間変化 を示す天体の観測も常時行われるようになった。昭 和45年には光電観測結果を数字化して穿孔テープに 記録させるようにしたが、昭和51年(1976)より望 遠鏡の制御系・駆動系の改良が始められ、53年には ディジタル表示が完成した。なお観測所内の実験工 場で製作された小型プリズム分光器(Z分光器)は、 昭和42年以来、恒星の分光分類や新星の確認に活躍 している。 〔65センチメートルクーデ型太陽望遠鏡〕クーデ 焦点に、リトロー型の回折格子分光器と、エッシェ ル分光器を備えており、使用開始以来、写真ポラリ メーターによる太陽黒点の偏光観測が行われてき た。昭和51年(1976)からは光電ポラリメーター (マグネトグラフ)の実験が始まり、太陽面上の弱 い磁場を測定する計画が進んでいる。昭和47年頃か らは、主望遠鏡のファインダー(口径8センチメー 編集者注:*本誌ではグレーティングスキャン測光器と称 している。
15 トル)を利用した太陽直接像連続自動投影装置によ り、かなり鮮明な写真が得られるようになった。現 在までに行われた観測は主として太陽のプロミネン ス・フレア・黒点を対象としたものであるが、近年 は星の望遠鏡の混雑緩和のため、太陽高度の低い冬 季には、明るい星の高分散分光観測にも使用されて いる。 当観測所の所長(施設長)は、開設以来昭和51年 (1976)3月まで大沢清輝がつとめ、以後は山下泰 正が継承した。また副所長は昭和47年におかれ、以 来石田五郎がその任に当たっている。 なお望遠鏡および付属機器の保守、開発の役割は、 清水実を中心とする技術グループが分担してきた。 188センチメートル望遠鏡は、建設当時世界第7位の 口径を誇ったのであるが、近年諸外国で建造される 大型望遠鏡の数はめざましく増加し、いまや188セ ンチメートルの順位は三十位近くまで下落*した。 その落差を埋めるべき大型望遠鏡を設置したいとい う要望が全国的に高まっている。 *注  1982年の時点で 188cm望遠鏡観測原簿  Vol.1  最初(第1日目)の観測から 日付:1960/09/22 天候:晴、hazy(うすぐもり)観測者:Wallis、Hall、末元、清水、石田 初日から故障が生じたり、シャツの胸ポケットから物を落とさないように、などの注意書きがある。