8 岡山天体物理観測所(以下OAOと略)は1960年10月 19日に開所式をおこなったので、2000年で40周年の 節目を迎えた。この間188cmおよび91cm望遠鏡等 を主力装置として擁し、開所以来全国の天文学研究 者に公開し、光赤外の地上観測の基地として活動を 続けてきた。この間の状況は本誌の各章に詳しく記 載されているので、ここでは40周年に際して、その 将来の見通しについて簡単に述べたい。 OAOは初期の頃から共同利用を行ってきたが、 観測のノウハウを習得し、研究へと仕上げる訓練の 場として機能した。そして、時代が移るとともに、 次第に研究者の層が広がり、多種多様な観測、より 暗い天体の観測への要請が増してきた。全国の大学 から研究者が殺到し、新しい装置が製作され、観測 所の設備はフル稼働し、多くの成果が出された。大 沢、山下両先生はこのような時期に観測所を引っ張 られ、石田、清水両氏は現地の責任者として共同利 用の運用に心を砕かれた。 しかしながら、この間新しい望遠鏡の建設がなか ったことが、次第に関連研究者とOAOを追いつめ、 深刻な望遠鏡時間の不足、いわゆる「共倒れ」現象 へと導いた。そこで、国立天文台への改組(1988)を 機に本格的な共同利用へ移行し、レフェリー制を導 入して、今日まで凌いできた。今後は第一線の観測 研究は「海外大型」望遠鏡計画の結実であるすばる 望遠鏡へと引き継がれることであろう。 以上の経緯から見て、OAOの40年におよぶ活動 はわが国の天体物理の礎を築き、時代とともに発展 してきたといえると思う。特に、木曽観測所のシュ ミットサーベイと役割分担し、野辺山の電波観測と 手を組んで地上観測を支えた実績は、世界と渡り合 っているわが国の天文学の基礎を築いたといっても 過言ではなかろう。 ところで、共同利用という運用形態はそれを維持 する観測所や職員の勤務体制に種々の負担を強いて くる。さらに、40年という年月の経過とともに、望 遠鏡や諸設備の老朽化が進む中で、職員の高齢化と 予算の逼迫という苦境に立たされている。その中で 大過なく共同利用を行っていかざるをえないのが、 偽らざる現状である。 それでは、岡山の将来はいかにあるべきか? こ れまでもコミュニティと話し合い、長期的な戦略を 40周年と将来構想 前原英夫 岡山天体物理観測所所長
9 議論してきたが、改組以来専門委員会や「岡山会議」 等を中心として、将来計画を練った。まず、サイト と望遠鏡に適した新しい観測を可能とするため、3 年の年月と5千万円の予算を要する規模の観測装置 の開発・製作をその柱とした。この中から、OASIS やHIDESが製作され、共同利用の主力機器として 活用されているのは、この目論見が成功したものと いえよう。 長期計画についても、「すばる時代の岡山」はど うあるべきかという観点から議論を行ってきた。こ の結果は一つの成案としてはまとめられず、3案が 併記されるという形になった。世界のベストサイト に劣るとはいえ、岡山は40%の晴天率を有している。 21世紀には望遠鏡の遠隔操作や高速ネットワークが 当たり前となっても、国内に適当なサイズの望遠鏡 があれば、そのアクセスの良さを生かして、教育や 若手研究者の育成や機器開発等に有効利用できる。 ところで、OAOの運用については、これまで通 りの方式は必ずしも妥当とはいえない。この際共同 利用を見直し、時代に適合させる必要がある。国立 天文台は今後も大プロジェクトを推進していくであ ろうし、また、利用者として力を付けてきた大学に とっては、自前の望遠鏡や天文台を持つことが望ま れている。このような状況を考慮した上で、大学の 研究基盤を強化する方策を立てるべきである。 目下関係者と議論が進められている構想は、京都 大をはじめとする西日本の大学の天文学連合を作 り、その基地としてOAOを活用するということで ある。このようにすれば、大学がそのインフラスト ラクチャーを利用でき、国立天文台との研究環境の 格差を改善できる。そして、サイトにあった望遠鏡 に更新し、観測装置を開発することにより特色ある 研究を進め、教育を行う。その結果として、すばる 望遠鏡を支え、世界に伍した光赤外観測を進めてい くことが可能となるものと期待できる。 40周年を迎えて、岡山天体物理観測所は新たな目 標の下で、次のステップへと進む時がきたようであ る。 最近の構内とドーム(左:188cm望遠鏡、右:91cm望遠鏡