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荒涼たる砂漠に疲れはてた旅人は、地平線のはる
か彼方のオアシスを夢みる。この苦悩に満ちた人生
の行路をさまよう人類は、到達しえないものにあこ
がれる。こゝに人類文化の原動力があり、最高目標
がある。そこに天文学の意味があり、天文学が原始
時代から人類の深刻な課題として提供されている所
以である。
宇宙の始めとか終りとかを知るためには、まず現
在の宇宙を知らねばならない。しかもあの広大な宇
宙には、常に新しく星は生れ、たえず星は死滅し
つゝある。
天体は大きな実験室であり、極端に高い温度、低
い温度、極端に稀薄な状態から、密度の極大な状態
まである。このような研究は天体のスペクトルを撮
ってそれを精密に研究してはじめてわかる。スペク
トル線の太い細い、濃い淡い、その先の強さの移り
具合からくわしく研究すると、天体の温度、圧力、
そこにある電気の場や磁石の場の強さ、その組成、
つまり1ccに水素や炭素や鉄の原子が何個あるかが
わかる。
これらの天体は光が弱いもので、スペクトルのく
わしい研究には、天体からくるたくさんの光を集め
るために大きな口径の反射望遠鏡が必要である。
天体の組成、構造、作用を知り、ひいては天体の
進化を研究するためには、突然輝き出した新星とか、
短時間にスペクトルを変える変光星を研究すること
も必要である。
ヨーロッパとアメリカと日本とは経度で120°ずつ
へだたっている。ちょうど茶の湯で使う鼎の三脚を
なしている。しかも地球は自転しているから、欧米
の昼の時に起った天界の現象は、その時夜である日
本でないと観測できない。だからヨーロッパとアメ
リカと日本と三ヵ所に、同じ大きさの望遠鏡をおい
て天界の現象のたえない不断の連続的研究をしなけ
ればならない。急激に変るか、突発的に起る現象を
つかまえて、日本がぜひしなくてはならない研究を、
そしてそれがなくては世界の天文学の進歩が妨げら
れるというような研究をしなければならないのであ
る。日本のためひいては世界人類のため、日本の天
文学のもつこの重大な責務を果したいと存ずる次第
である。
昭和28年5月15日・NHKラジオ「やさしい科学」より抄録
鼎の三脚
萩原雄祐
元東京大学東京天文台台長